2011年12月2日金曜日

養老孟司『バカの壁』への批判

動機
なんで今さらこんなエントリを書こうと思ったかというと、養老先生の「y=ax」を褒めてる人を最近になって読書メーターで見たからです。以下に養老先生の「y=ax」がなんでダメなのかを書きます。

y=ax
養老先生の「y=ax」というのはこんな感じです。

  • 人間の脳みそは式「y=ax」で説明できる
  • x は脳への入力(五感とか何らかの情報)、y は出力
  • a(の絶対値)は関心が大きい入力に対しては大きい値、関心が小さいことには小さい値をとる
まず、この「y=ax」っていう書き方が良くないです。入力に対していろんな値をとるなら a は定数じゃないことになります。 a を関数にして、y=a(x) とかって書くべきです。まあそれはいいや。この説明でなにが分かるかを見ていくことにします。

入力:関心大 → a:大
入力:関心小 → a:小

 でした。a が大きかったり小さかったりするとどうなるかというと、

入力:関心大 → a:大 → ax:大(= y:大)
入力:関心小 → a:小 → ax:小(= y:小)

そして、出力 y が大きいってことは、その入力に対しいての反応が大きいってことを表わしているんだそうです。なるほど。つまり、

入力:関心大 → a:大 → ax:大(= y:大) → 反応:大
入力:関心小 → a:小 → ax:小(= y:小) → 反応:小

人間の脳は、関心が大きいことには大きく反応するのか! でもこの「反応の大小」っていうのは何を表している量なんでしょう。どうも「反応の大きさ」はその入力に対する関心の大きさを表しているみたいです。

入力:関心大 → a:大 → ax:大(= y:大) → 反応:大 → 関心:大
入力:関心小 → a:小 → ax:小(= y:小) → 反応:小 → 関心:小

途中の y とか a とかを省略して結果をみてみます。

入力:関心大 → 関心:大
入力:関心小 → 関心:小

これですっきりしました。実に論理的。もっとも、この説明は一体なにを説明できているのかというと……たぶん何も説明できてないと思います。

(余談:数学をやってるとたまにこういうことがある。「よし、計算できそうだ。解けた! 0 = 0 ……ってこりゃ当たり前だよ。何やってんだおれ……」みたいな。)

この「y=ax」はもちろん褒めてる人だけじゃなくて貶してる人もいっぱいいたのですが、「あまりに単純化がひどい」みたいな趣旨のものが多く、私が言ってるようなことを書いてる人は少ないように見えました。「単純化がひどい」っていう批判も正しいのでしょうが、それ以前にこのモデル自身がまったく無意味だと思います。

ほかにも、
  • フロイトの無意識について述べた部分とかもおかしいです。「最近、おれの授業で寝てる学生が多い」 → 「学生は睡眠時間のことをちゃんと考えてない」 → 「都会っ子は無意識を意識してないのだ! だからフロイトは無意識を再発見しなければならかったのだ!」みたいな。フロイトの言う無意識って寝てる時間のことじゃないんですけど……。フロイトの「無意識」は意識がない状態を指す「無意識」とはまったく別もの。内田樹もなかよく対談なんかしてないで、つっこんでやればいいのに。まちがってることにまちがってると言うのも友情だと思うな、ぼくは。
  • ピカソについて述べた部分もおかしいです。「ピカソの(キュビズム時代の)絵はめちゃくちゃなようでいて、顔のパーツ部分など細部はリアルにかいてある」 → 「ピカソは見た景色を脳の中で独自に再構成できたのだ!」みたいなの。顔のパーツ部分、リアルか? まあ、ものの感じ方は人それぞれですからね……みたいな解釈もできるが、たぶん養老先生、ピカソの絵見てないだろ。それに、パーツ部分がリアルだったしても、ピカソの脳自体が特殊だと考えるのはかなり飛躍してると思います。
  • あとなんだっけ、共同体の再構築みたいな話にも不満があったような気がするが、忘れた。
  • それと、なんていうか、みんな「人それぞれいろんな意見がある」とか、「物ごとには良い面と悪い面がある」みたいな話好きだよなー。いや、それ自体はいいんだけど。それは議論の出発点であって結論じゃないよー。


おわりに
ぼくが「バカの壁」を読んだのはかなり前、中学生(いや、高校生だったっけ? 忘れた)のころだったので、このエントリは記憶をたよりに書いてます。なので、引用などは不正確です。でも大筋では間違っていないはずです。


0 件のコメント:

コメントを投稿